「遊びきる」ということ

子育てには、こどもの病気がつきもの。こどもが風邪をひくと、自分のプランを諦めざるを得ません。赤ちゃんを夜通し抱っこしてあやしたり、苦しんでいるこどもの傍らで絵本の読み聞かせや、添い寝をしたりして、生産的でないように感じる時間を、とにかく一緒に過ごすこと、これも子育ての重要な要素だと思います。そうは言っても、悶々とした時間をこどもと過ごさなくてはならない日々は、わたしも社会から取り残されたように自問しました。でも、健康なときも、具合が悪いときも、親子が共にすごしながら積み上げていく日常は、こどもの成長にとって大切ですし、親が、忍耐力と包容力を持った親として成長していくプロセスであったと思えます。

 ところで、こどもの病気や入院で、不安な体験をしたことはありませんか?

たとえば、面会時間の制限。親子を切り離すことは、こどもにとって、病気以上の恐怖を与えますし、親は、わが子が分身ですから、身の裂かれる思いをします。次男が、カテーテル検査入院した時は、ただでさへ、私自身が不安でいっぱいでしたから、親子同室で入院できなければ、検査どころでなかったかもしれません。そして、小児病棟では、長期入院を余儀なくされて病気と闘っているこどもたちを見かけました。病院の中であっても、こどもの日常の普通の生活を保障することはとても大切なことだと痛感します。親子が一緒にいられること、そして、十分に遊べること。遊びをこどもから取り上げてしまったら、こどもはこどもでなくなってしまうでしょう。

しかし、病院は、こどもにとって、薬、検査、注射、といった、痛いことをされる場所であり、おとなしくさせられ、主体性とこどもの本来性を奪われていく場所にならざるを得ません。そこで、受身の立場から、能動的な立場に転換して、こどもの自信を取り戻すために、(治癒能力を高めることにつながる)こどもは、遊びきる、ということが必要になるそうです。

 

 わたしは、3年毎に、チェルノブイリ事故で放射能汚染の被災にあったこどもたちの小児ガン病棟や、サナトリウムを訪問するのですが、そこで、こどもにとって「遊びきる」ということの意味を初めて知りました。小学生高学年のジーマは、甲状腺がんが再発して何度か手術をしなくてはなりませんでした。現地の医療の遅れから、癌の取り残しがあり、こどもたちを苦しめていました。彼は、もう薬も飲まない、手術もしない、と自暴自棄に陥っていました。サナトリウムでは、甲状腺がんを患ったこどもたちへの、特別の遊びのプログラムが用意されていましたが、ジーマは、はじめ遊びの中に入らず、遠巻きにみていました。そのうち、少しづつ輪の中に入ってきて、最後には、無我夢中で、病気のことも忘れるくらいに遊びに没頭していったのです。遊びきったあとに、彼は、もう一度、手術に挑戦してみる、と前向きになったといいます。このサナトリウムのスタッフたちが、ジーマから学んだのは、こどもの「遊びきる力」です。自分自身を癒す力です。その背後には、見守る大人たちと、遊びの環境設定の保障がありました。もう一人の女の子は、サナトリウムで保養した後に、こう書いています。「わたしの病気は治らないかもしれない。でも、こうやって、風を感じている。わたしは、生きていると感じる。」

 

近年、医療がめざましく発達しましたが、家族から離され、遊びも学校生活もストップさせられ、心はケアーもされないまま、体は治ったけれど、心は傷だらけ、というこどもが出てきたそうです。アメリカ、カナダの小児科には、チャイルド・スペシャリストという、こどもの視点にたって、彼らをケアーする専門家が働いています。こどもがこどもらしく生きる権利とその大切な時間を守るために、手術に臨むこどもや、ターミナル期を迎えるこどもに近くより添い、プレイルームや病室での彼らの遊びを保障し、恐怖と不安が和らぐようにお手伝いする人たちです。わたしが、チャイルド・スペシャリストの分野を知ったのは、10年程前、たまたま、大学のチャプレン(牧師)をしている友人の依頼で、チェルノブイリのこどもたちの事情を大学生に話しに行ったときでした。彼のパートナーの、藤井あけみさんが、チャイルド・スペシャリストという、日本では草分けの存在として、仕事を始められていた時期だったのです。あけみさんは、名古屋赤十字病院の勤務を経て、現在、宮城県立こども病院成育支援局に勤務して、入院中のこどもの、遊び医療を紹介して久しくなりました。要するに、こどもは、遊びそのものが生活であり、「遊びきる」ことが、苦しい医療を受けるこどもたちに必要不可欠である、ということ。それから、簡単なことですが、画用紙一枚にしても、どれがいい?とこども自身に選ばせ、こどもに決定させる機会を作ることを勧めています。自分の人生は自分で選ぶことができる、という誇りと自発性を育てることになる、とあけみさんは、書いています。「チャイルド・ライフの世界」−こどもが主体の医療をもとめて− (藤井あけみ 著/新教出版社)

実は、幼い時からのこの積み重ねが、より良い人生を自分のものとして選び取っていく力の基本になっていくのです。

当たり前のことですが、遊びきる、ことも、選ぶ機会を得ることも、病床のこどもにとって顕著であるばかりか、すべてのこどもにとっても不可欠ですね。

 

敬愛幼稚園が、自由保育を多く取り入れているというのは、やはり、遊びきる ことによる、こどもの力を信じているからです。こどもたちは、それぞれ好きな遊びを、(好きということが、大切。)思う存分展開させています。遊ばないでは、息ができない人たち、といった様子です。細切れの時間でなく、親の都合でなく、その子が、「おしまい!」と満足して遊びきる、一日一日を大切にしたいと願います。願わくば、親子共、体も心も健やかに。病気の辛いときも、生きている実感を感謝できる精神で過ごしたいものです。

 

 
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