2009年05月02日
「マッチ売りの少女」なら、誰でも知っているでしょう。「赤い靴」もいかがでしょうか?どちらも、究極の苦しみの中で、主人公は、神様に祈っています。
加治屋町教会の今週の希望のダイヤル(225−4807)を回すと、このアンデルセンの童話との出会いが語られています。彼女は、孫の世話をする年代。自分が幼かったころ、内気で学校にも馴染めなかったので、物のなかった貧しい時代でありましたが、親が見かねて世界童話全集を買ってくれたそうです。彼女は、むさぼるように読み、アンデルセンの中にでてくる祈りに出会うのです。大人になって、雑事に追われましたが、ようやく教会に通えるようになりました。子ども時代に心の中で祈った神様にたどり着いたということです。
祈りは、こどもにとって、不可欠です。祈りとは、安心感です。こどもにとって、両親が全ての時代。親の精神の安定が、子どもに世界は今大丈夫だ、という安心を持たせます。本来なら親や信頼出来る大人(幼稚園の先生)を通して子どもは 祈りを覚え安心を得ていきます。
自分の根っこを支える世界が、安心感に満たされていることを感じているこどもは、幸せです。お金がある、とか、能力がある、ということが幸せの基準ではないのです。マッチ売りの少女は、最後に擦ったマッチの中に愛するおばあちゃんを見出し、最後は、究極の親である神様に身をゆだねました。
福音館書店の「アンデルセンの童話、愛蔵版」(全4巻)は、大塚勇三訳で、イブ・スパング・オルセンの挿絵がすばらしいです。わたしも、今晩は、久しぶりにアンデルセンをめくってみました。
太刀打ちできない事柄に遭遇するとき、わたしたちに祈りが残されています。毎日の保育の中で、こどもたちの組む祈りの手から、幸せの原点を教えてもらいます。

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