2008年06月30日
日置の田んぼ。おやじの会 主催の田植えがありました。もち米は、冬の餅つきに使います。育てて、食す。消費生活に慣らされた親たちも、カルチャーショックをうけますね。刈り取るまでの世話をしてくださるのは?ここは、園児のお父さんの田んぼですから、孫達のために、影になって草取りをしたりして育ててくださるのでしょう。支えられて育てられる稲と私達。感謝です。
田んぼは、一番暑い盛りの夏場に水を抜き取ってしまいます。
えー!そんな、稲にとって残酷。と思いますよね。水を求めて根が張るので、台風がきても強い稲でいられるそうです。生きるって、大変なことなんですね。そして、強くもなっていく・・・


こちら、こども達のほうは?泥んこに沈んでいます。きもちよさそうー。わたしは、おもわず、絵本「どろんこ こぶた」(アーノルド・ローベルト/文化出版局)のこぶたを思い出してしまいました。
こぶたは たべるのが だいすき、 うらにわを駆け回るのも だいすき、ねむることも だいすき。でも、なによりも なによりも すきなのは、 やわらかーい どろんこの なかに、 すわったまま、しずんで ゆく ことでした。
ね!☆ 前回のシュタイナーの人形 の欄でも紹介しましたが、教育者シュタイナーは、こどもを感覚器官として生きている。と言い当てましたね。しかも、ほぼ7歳まで。だから、泥んこを見つけて、ズズズーっと喜んで沈んでいくのは、当然。このかわいらしくて、いきいきした表情!
こどもは、理屈で生きていません。感覚と感触で、この世界を受け止めています。安心できる空間なのか、自分がそこに居ていいのか、愛されているのか、それら、全ても感覚で読み取っています。大人たちは、忍耐強いお仕事お疲れ様でした。

そして、こどもたちのお仕事は、泥んこに沈むことになりました。信頼できる大人たちの傍で、思う存分泥んこに満喫できた時間は、こどもの感触として記憶されていくんでしょうね。
最後は、お決まりの、親に泣きついて、おしまい。
しっとりとした、昼下がりの良い日でした。

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我が家の息子はお婆ちゃん家の畑で泥んこの楽しみ、収穫の楽しみを経験して育ちました。そして「大きくなったら何になる?」と聞かれると「農家の人!」と即答していました。
初志貫徹というのか、今彼は北大の農学部で学んでおります。
子ども時代に多くの自然にふれあい、友だちにふれあいそれを周囲が見守ることで、夢を実現に近づけることができるのかもしれません。
たわわに実る稲穂になるまで、子どもたちと成長を見守ることができるといいですね。豊かな実りがありますように。
田んぼからの次報を楽しみにしています。