あけまして、おめでとうございます。

今日の桜島は曇っていましたが、新鮮な空気を感じます。あたらしい一年も、こどもたちが過ごしやすい生活を作っていきたいですね!ご一緒に楽しいネットワークをつないでいきましょう。この一年も記事をどんどんかきますので、開いて参加してくださいblogDSCN0299_1.jpgね。では、良いお年を!
 
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キャンデイのようなロウソク作り☆

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どこの教会や、教会幼稚園にも、きまって使い古しのロウソクが、戸棚かどこかに眠っているはずです。前の年に、アドベントからクリスマスにかけて点されてきたロウソクたちです。
巡ってきた新たなクリスマスを迎える時期になると、それらを取り出して、古くなったロウソクをよみがえさせるのがわたしの楽しみです。

詩人は、薄汚れたコインをすっかり綺麗に磨きあげて、ピカピカのを手の平に置いて、人に差し出す仕事といいます。すでに、人から見向きもされなくなったというのに、同一のものに新鮮さを加えて、人に驚きや感動を与えることができるのです。
ロウソクが、まるでキャンデイのように、輝いて、誰からともなく、おいしそう!と口をついてくだされば、詩人の役目はほぼ完成。

毎年、わたしが教会のこどもたちと作り続けてきたロウソクは、まづ、何種類もの色でロウのキューブを作るのです。蝋とクレヨンを空き缶に入れて溶かし、バットに流して固め、キューブに切り分けます。
下準備は根気の要る仕事です。でも、キャンデイのようなキューブをガラス瓶に分けていると、幸せな気分になります。私自身を喜ばせ、驚かせるための仕事でもあります。
蝋を溶かした中に、古いロウソクの芯も浮かんでいます。これさへ、新しいロウソクの芯になるのです。いざ、こどもたちとの作業は、ほとんど色あわせ。
カップにオイルを塗らせ、芯をカップの底の真ん中の部分から挿していき、キューブを好きな色の取り合わせでカップに入れさせます。
そして、最後の仕上げのために、私がこのために愛用している、神戸のゴーグルが入っていた大きくて一番深い缶に、たくさんのロウソクをポキポキ折って投げ込み、湯銭で溶かしていくのです。
なみなみと缶に溶けた、透明な蝋を、こども達と、それ専用のお玉ですくって、キューブのはいったこどもたちのカップに注ぎます。
何年も一緒に作り続けてきたこども達の心の中に、ロウソクの思い出は残っていることでしょう。

6歳からずっと作ってきたNちゃんは、中学生。彼女のお母さんは、ロウソクをこっそりしまっているそうです。いつか、Nちゃんが大きくなった時期を見て渡してあげるそうです。
どんな時期にどんなタイミングでこども時代の片鱗を見せてあげるのでしょう。

今年は、教会こども会の中高生とのアドベント夕食会で、ロウソクを作りました。
やはり、おいしそうなロウソクにしあがりました。
みんなのを見てうっとりしているのは、やはり裏方のわたしです。本当に幸せ。

 
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「遊びきる」ということ

子育てには、こどもの病気がつきもの。こどもが風邪をひくと、自分のプランを諦めざるを得ません。赤ちゃんを夜通し抱っこしてあやしたり、苦しんでいるこどもの傍らで絵本の読み聞かせや、添い寝をしたりして、生産的でないように感じる時間を、とにかく一緒に過ごすこと、これも子育ての重要な要素だと思います。そうは言っても、悶々とした時間をこどもと過ごさなくてはならない日々は、わたしも社会から取り残されたように自問しました。でも、健康なときも、具合が悪いときも、親子が共にすごしながら積み上げていく日常は、こどもの成長にとって大切ですし、親が、忍耐力と包容力を持った親として成長していくプロセスであったと思えます。

 ところで、こどもの病気や入院で、不安な体験をしたことはありませんか?

たとえば、面会時間の制限。親子を切り離すことは、こどもにとって、病気以上の恐怖を与えますし、親は、わが子が分身ですから、身の裂かれる思いをします。次男が、カテーテル検査入院した時は、ただでさへ、私自身が不安でいっぱいでしたから、親子同室で入院できなければ、検査どころでなかったかもしれません。そして、小児病棟では、長期入院を余儀なくされて病気と闘っているこどもたちを見かけました。病院の中であっても、こどもの日常の普通の生活を保障することはとても大切なことだと痛感します。親子が一緒にいられること、そして、十分に遊べること。遊びをこどもから取り上げてしまったら、こどもはこどもでなくなってしまうでしょう。

しかし、病院は、こどもにとって、薬、検査、注射、といった、痛いことをされる場所であり、おとなしくさせられ、主体性とこどもの本来性を奪われていく場所にならざるを得ません。そこで、受身の立場から、能動的な立場に転換して、こどもの自信を取り戻すために、(治癒能力を高めることにつながる)こどもは、遊びきる、ということが必要になるそうです。

 

 わたしは、3年毎に、チェルノブイリ事故で放射能汚染の被災にあったこどもたちの小児ガン病棟や、サナトリウムを訪問するのですが、そこで、こどもにとって「遊びきる」ということの意味を初めて知りました。小学生高学年のジーマは、甲状腺がんが再発して何度か手術をしなくてはなりませんでした。現地の医療の遅れから、癌の取り残しがあり、こどもたちを苦しめていました。彼は、もう薬も飲まない、手術もしない、と自暴自棄に陥っていました。サナトリウムでは、甲状腺がんを患ったこどもたちへの、特別の遊びのプログラムが用意されていましたが、ジーマは、はじめ遊びの中に入らず、遠巻きにみていました。そのうち、少しづつ輪の中に入ってきて、最後には、無我夢中で、病気のことも忘れるくらいに遊びに没頭していったのです。遊びきったあとに、彼は、もう一度、手術に挑戦してみる、と前向きになったといいます。このサナトリウムのスタッフたちが、ジーマから学んだのは、こどもの「遊びきる力」です。自分自身を癒す力です。その背後には、見守る大人たちと、遊びの環境設定の保障がありました。もう一人の女の子は、サナトリウムで保養した後に、こう書いています。「わたしの病気は治らないかもしれない。でも、こうやって、風を感じている。わたしは、生きていると感じる。」

 

近年、医療がめざましく発達しましたが、家族から離され、遊びも学校生活もストップさせられ、心はケアーもされないまま、体は治ったけれど、心は傷だらけ、というこどもが出てきたそうです。アメリカ、カナダの小児科には、チャイルド・スペシャリストという、こどもの視点にたって、彼らをケアーする専門家が働いています。こどもがこどもらしく生きる権利とその大切な時間を守るために、手術に臨むこどもや、ターミナル期を迎えるこどもに近くより添い、プレイルームや病室での彼らの遊びを保障し、恐怖と不安が和らぐようにお手伝いする人たちです。わたしが、チャイルド・スペシャリストの分野を知ったのは、10年程前、たまたま、大学のチャプレン(牧師)をしている友人の依頼で、チェルノブイリのこどもたちの事情を大学生に話しに行ったときでした。彼のパートナーの、藤井あけみさんが、チャイルド・スペシャリストという、日本では草分けの存在として、仕事を始められていた時期だったのです。あけみさんは、名古屋赤十字病院の勤務を経て、現在、宮城県立こども病院成育支援局に勤務して、入院中のこどもの、遊び医療を紹介して久しくなりました。要するに、こどもは、遊びそのものが生活であり、「遊びきる」ことが、苦しい医療を受けるこどもたちに必要不可欠である、ということ。それから、簡単なことですが、画用紙一枚にしても、どれがいい?とこども自身に選ばせ、こどもに決定させる機会を作ることを勧めています。自分の人生は自分で選ぶことができる、という誇りと自発性を育てることになる、とあけみさんは、書いています。「チャイルド・ライフの世界」−こどもが主体の医療をもとめて− (藤井あけみ 著/新教出版社)

実は、幼い時からのこの積み重ねが、より良い人生を自分のものとして選び取っていく力の基本になっていくのです。

当たり前のことですが、遊びきる、ことも、選ぶ機会を得ることも、病床のこどもにとって顕著であるばかりか、すべてのこどもにとっても不可欠ですね。

 

敬愛幼稚園が、自由保育を多く取り入れているというのは、やはり、遊びきる ことによる、こどもの力を信じているからです。こどもたちは、それぞれ好きな遊びを、(好きということが、大切。)思う存分展開させています。遊ばないでは、息ができない人たち、といった様子です。細切れの時間でなく、親の都合でなく、その子が、「おしまい!」と満足して遊びきる、一日一日を大切にしたいと願います。願わくば、親子共、体も心も健やかに。病気の辛いときも、生きている実感を感謝できる精神で過ごしたいものです。

 

 
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クリスマス会は、ピニャーター★

 敬愛幼稚園では、ご家庭の都合がつくこども達は、日曜日に礼拝を守っています。
卒園児達や、来たいこども達も、日曜日に教会に集まります。これが、教会こども会です。

それで、こども会では、みんなで一緒に礼拝をしたり、楽しい行事をしています。
今日は、こども会のクリスマス会でした。

今日のクリスマス礼拝は、幼稚園児や、卒園したての低学年の讃美の声が大きく響いて、礼拝堂に居ると、本当に元気がでました。(幼稚園の時が一番歌声が大きいのですよ。)そして、高学年の朗読で、クリスマス物語を見ました。今では小さいこどもをお世話する側です。少し前まで自分達もあんなだったのに、かわいい仕草や、幼い人の単純さをみて、くすりっと笑います。このギャップをユーモアと呼びますね。

今日は、やっとピニャーターを叩ける日。11月から、こどもたちは、ピニャーターを作り、叩き棒を新聞紙で丸めて固くしておきました。ピニャーターは、風船を膨らませた後に、(中に空間を作ること)針金や新聞紙とヤマト糊、最後に色とりどりの包装紙で細工していきます。
85人のこどもたちが、3つのピニャーターを次々に叩いてもなかなか割れてくれないピニャーターくん。でも、さすが、ギャングエイジにかかれば、破れたところから中のお菓子が出てきて、最後には一気にお菓子が床にこぼれます。こぼれたお菓子を素早く籠に集めるこどもたち。もう大喜び、大はしゃぎ。日本でピニャーターをやっているのは、ここだけかしら?
そこで、絵本「クリスマスまであと9日」 (エッツ ラパテイダ 作/富山房 )のメキシのポサダ祭りのお話を読んでみて下さい。ピニャーターは、メキシコのクリスマスのお楽しみなのです。そして、絵本だけでなく、ピニャーター祭りblogDSCF4295.jpgをしたければ、こども会におこし下さい。
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今日は、ずくぼんじょ のクリスマス会

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♪♪ はじまるよったっら、はじまるよ。
    はじまるよったっら、はじまるよ。♪
このフレーズで始まる ずくぼんじょ です。毎週火曜日、 降園にあわせて 父母の有志が集まり、絵本の読み聞かせを行っています。

      12月18日は、 クリスマス会 でした。

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 まずは、ハンドベル演奏、こどもたちもベルにさわらせてもら   い、ご機嫌。 クリスマスの絵本の読み聞かせあり。素話(ストーリーテイリング)あり。絵がなくても、保育やずくぼんじょの中で、素話を聴きなれているこどもたちは、頭の中に絵を描くように想像力を膨らませて、おはなしを運んでいくことができます。見えない世界を、耳から入ってくることばによって、構築させていくって、とても高度で、素敵なことなのです。想像力は、人と何かを共有して暮らしていく上でも、大切なもの。自分が経験しうるちっぽけな世界を超えていけるのですから、こどもたちは、きっと心豊かな大人になっていくはずです。素話をトレーニングしてくれる保護者がいて、何気なくこどもたちに提供しているのは、敬愛の ずくぼんじょ の特徴でもあります。
さて、今日は、特別にパネルシアターもあります。こちらは、見える世界に工夫しておはなしを盛り上げていますね。にぎやかなこと。そして、おたのしみプレゼントもついてきました。クリスマス絵柄の折り紙と小さな手作りリース。お開きは、「きよしこの夜」の歌で、しめくくりとなりました。みんな口ずさんでいて、とてもやさしい気持ちになれる空間を、親子で楽しむことができました。   

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ずくぼんじょ“のクリスマス会に参加して・・
   (保護者K・M)

 12月18日(火)、2学期最後の“ずくぼんじょ“はお母さんたちの手作りの飾り付けで、クリスマスムードたっぷりの中始まりました。 “ずくぼんじょ”とは、方言で「つくし」という意味のです。毎週火曜日に幼稚園終了後の午後2時から30分程度、幼稚園の絵本室を利用して行っているサークル活動です。 今日読み聞かせした『くんちゃんとふゆのパーティー』は10分程度の絵本でしたが、子供たちはみんなよく集中して聞いていました。 『サンタクロースはうんぽんぽん』は毎年恒例のお母さんたちの出し物で、子供たちが大好きな人形を使った歌遊びで、一緒に口ずさんでいました。手作りのクリスマスミニリースのプレゼントもあり、大喜びで持ち帰り、家のツリーに飾って楽しみました。 毎週1回の“ずくぼんじょ”。わらべうたや手遊び、お母さんたちの本読みなど子供たちがお母さんから愛情を感じるひとときを、これからも大事にしていきたいと思っています。

 
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待ちに待った クッキーパーテイ!

クッキー クッキー だいすき!」絵本の題名でもあるこの言葉。

幼いこどもたちは、なんとクッキーの好きなこと。食べるのはもちろんのこと。型で抜いて焼きあがりを待つのも、うきうきするのです。星型、くま、鳥、ハート、お家、ロウソク、鐘・・・とかわいい型はたくさん。焦げて茶色くなったクッキーも、これまたチョコレート味のようにちょっぴり苦くておいしいのです。

 

わたしは、小さなこどもたちを育てている時は、毎年お世話になった知人にプレゼントするクッキーを家族で焼いていました。クッキー種を広く伸ばして、そこにナイフで大きいツリーを切って、いくつも焼くのです。ツリーの真ん中には穴をあけて、出来上がりに赤と緑のクリスマス色を通してリボンに結ぶと、オリジナルのクッキーが出来上がります。そして、今は、6歳の末っ子にクッキー種を渡すときは、魔法の粉と称した手粉を用意しておいて、粘土のように捏ね繰りまわして、すっかり体温で柔らかくなった種に粉を足して、形にさせます。綺麗に作るクッキーと楽しむクッキー。小さなこどもは発想豊かなお楽しみクッキーが好きでした。それをその子のおやつとして缶に入れてやれば、何日も幸せな顔をして3時を楽しんでいます。

 

幼稚園では、先週、クリスマスのページェントも終わり、(クリスマス降誕劇、オペレッタ)みんな歌も台詞もしっかりできて、たくさん楽しんで、ぐっと大きくなりました。それで今日は、待ちに待ったみどり組みさんのクッキーパーテイ。前日の夜の台所を覗くと、先生が、クッキー種を仕込んでいます。先生の頭の中は、こんな。牛乳アレルギーのA君には、オイルと蜂蜜で仕込んだクッキー・・・。お母さんと家でクッキー作りをするBちゃんは、明日は、得意気にクッキーを作れるかも。・・・等々。 もうすぐ、学校に上がるこどもたちが、楽しかった幼稚園の思い出を胸に、お友達にやさしく、自分には強い心でたくましく過ごせるようにとの、先生のねがいも、クッキー種の中に入っているのです。ありのままの自分でいられた幼稚園は、こども達が帰ってこられる心のふるさと。元気の出ないときがあれば、いつでも帰っておいでね。クッキーの香りを思い出して。

 

 
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ハヤシライスで、いただきまーす!

blogDSCF4221.jpg給食室では、朝早くからクリスマスのパウンドケーキ焼き。
今日は、2学期最後の給食です。スタッフ4人で、厨房は朗らかな中にも真剣。
なにしろ、こどもたちの食育を預かっていますからね☆
さて、今日のハヤシライスもこどもたちのお気に入り。
ゼリーだって、いくつでもおかわりしたいのです。
ちょっとラム酒の香りがオシャレなケーキは、クリスマスに特別。

朝、Rちゃんのママからお休みのお電話。
「あー、でも幼稚園にいきたいなー。遊びたいなー。給食も今日が最後だしー。」
そうね。でも、ゆっくり休んで3学期には、また元気にモリモリ食べてください。
一人っ子のRちゃんにとっても、先生と仲間で会食することは、とてもうれしいことですね。

わたしが、北海道で4人の子育てをしていた時期には、実家にこどもたちをつれていけるのは年に1回。核家族では、家庭の食文化を伝えるのも、なんか元気が出ない。そこで、毎年クリスマスや正月の一番楽しい日には、郷里に帰れない友人(帰れないって、とても寂しいのです。)をたくさん招いて、みんなで会食をしたり、もちつきをしたり、ゲームをしたりしていました。本当に、子育ての忙しかった日々。細やかなことはできなかったけれども、笑い声が溢れていて楽しかったこと。

さて、親子で幼稚園のメニューを楽しみにしていてくださるのも嬉しいこと。「家ではあまり食べてくれないのに、給食ではいっぱい食べてるみたい。どうしてでしょう?レシピ教えてほしい。」なんて声も。こどもにとっては、美味しいくて、楽しくなる笑い声が、いっぱい いっぱい必要です。(もちろん大人も。)愛は、見えるのです。にんじんの☆からも、おいしい、と嬉しくなる愛が。 では、今日も、いただきまーす。

 
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もも組さん(満3才)は、仲良し3人。

☆Rくんと Sちゃんが、かわいいケンカ。
Sちゃん 「ごめんね。」
Rくんも 「ごめんね。」仲直り。そこへ、もうひとり、Sくんが二人の中にやってきて・・・
Sくん 「ぼくも、ごめんね。これで、いっちょだね。」



★お弁当の時間。
「せんせい、きいて。」とせんせいのこめかみにお口を持ってきた。
「カリ、カリ、カリ、カリ」と、サラダのラデイッシュを噛む音。
先生が喜んできいているうちに、全部たいらげました!




 
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クリスマスの詩をひとつ。

みんなが、うれしくてうきうきする時こそ、一番さみしくて辛い。という人たちのことを思い起こしたいと願います。わたしが、時々、赴くベラルーシというロシアの隣の小さな国では、結婚式を終えたカップルが、戦争で亡くなった兵士たちのメモリアルに花束を捧げにいく習慣があり、そんな場面を目にします。人生は、幸せと悲しみの隣り合わせ。悲しみの方が大きいかも。だからこそ、今という幸せをたくさん受け入れて、過ごしたいものです。前回、ご紹介した「クリスマスボックス」に登場する老婦人も、悲しみの半生を送っていました。彼女の悲しみは、彼女だけのものだったのです。でも、老婦人の臨終の時に、悲しみの事実を知った若い夫婦は、彼女に心から寄り添うのです。老婦人が残してくれたメッセージ、それは、「幼い娘とのかけがえのない日々は今なのだ、」ということ。  それで、こんな詩を紹介します。     (M)                   


 「4歳だったデイヴィッド」      
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クリスマスって つらい日なのです

貧しい母親たちには
物欲しそうな子供たちの眼差しは まるで刃のようで耐えがたいのです。

 

お店には おもちゃが溢れるばかりあって

みんなが買ってしまっても まだいっぱい。

でも母親のふところが 空っぽだったら

  何も無いのとおなじこと。

 

わたしの財布に お金はたくさんあるけれど

わたしには おもちゃひとつも買えません

ただ買うのは 一枝のひいらぎだけ

わたしの坊やのお墓を飾るために。

           (読み人知らず)


 
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「くんちゃんとふゆのパーテイー」

「くんちゃんとふゆのパーテイー」ドロシー・マリノ さく/ あらいゆうこ 訳

 

自然の中の、くんちゃん親子の生活を描いた、くんちゃんシリーズの一作です。

わたしが、このシリーズの好きなところは,空間なのです。色がシンプルのため、絵とおはなしに空間を広げているように感じるのです。どのシリーズも、それぞれ2色。そこが、作家のセンスなのでしょう。 それで、今のクリスマス時期にぴったりの「くんちゃんとふゆのパーテイー」は、赤と黒です。

 ふゆごもりを遅らせて、雪をはじめて見たくんちゃんは、大喜び。舞う雪を追いかけてみたり、雪だるまをつくったり。けれども、小鳥たちが、雪のおかげでたべものを見るけることができなくなることを知ったくんちゃんは、たべものをちいさなかごにいくつも用意して、木に吊るします。気持ちの素直なくんちゃんは、森のリスやウサギ、小鳥たちに感謝されます。家の中にはいるとお母さんともみの木を飾ります。ツルコケモモに糸を通していくのです。きらびやかなモールなんかではありません。必然的に自然の恵みを生かしていくのです。おかあさんのクッキー作りをお手伝いして、クッキーが焼けるのを待つ気持ち。帰ってくるお父さんのために星やくま型のクッキーも吊るしていきます。幼いこどもほど、親を喜ばせることに心を傾けるものです。そして、赤いドアが開いて、半開きの向こうにゆきぐまが現れる場面が驚きです。くんちゃんの叫び声と同時に、読み手も、サンタクロースか、ゆきぐまなのか、ふんわりと顔をだした存在に暖かさを感じるのです。

赤と黒と白の、シンプルな味わいがとても利いている場面でもあります。どうぞ、ご覧になってください。

くんちゃんシリーズは、身近な大人に見守られながら、くんちゃんの伸びやかに育っている様子が手に取るようにわかります。愛情があふれ出ている、といったらいいでしょうか。学齢の大きなこどもにも、心が疲れているときに読んでやると安心できるでしょう。忘れかけていた、幸せな自分を取り戻すことができるのが、絵本でもありますね。

 他に、「くんちゃんのはたけしごと」「くんちゃんはおおいそがし」「くんちゃんのはじめてのがっこう」「くんちゃんとにじ」があります。わたしは、「くんちゃんとにじ」が大好き。これは、黄色と黒で統一されています。何故、黄色なのか?といえば、おはなしのさいごでわかります!なんて、かわいくてシャレた物語なのかが。                                    (M)
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